詐欺師koh
あたしは疲れていた。
「……一体何なのよあの社長は……!」
あたしがこの会社──ガブリエフ・コーポレーションで秘書課に入ったのは、姉ちゃんの『世界をみてこい』の一言が始まりだった。
本当のところ──ガブリエフ・コーポレーションではなく、その親会社のマイソ社に入りたかったのだが、姉ちゃんの紹介でガブリエフ・コーポレーションの秘書課に入社したのだ。
ガブリエフ・コーポレーション社長──ガウリイ=ガブリエフはマイソ社社長の孫にして、マイソ次期社長と噂されるやり手の男──だが、スキャンダルの話題が尽きないため、あたしは好きではなかった。
入社してすぐに、あたしはあたしは社長室に呼ばれた。
「──リナ、お前さんにはこれからオレの秘書として働いてもらう。
……これから先一ヶ月のスケジュールだ。頭に入れておけ」
一方的に愛想もクソもなく言い放つと、凄まじい量の資料を投げてよこした。
あたしがそれを持って社長室から出ると、秘書課の女達から殺気のこもった視線を投げられた。
「お前も大変だな」
さらり、とあたしに声を掛けてきたのは20代くらいの銀髪の男──確か入社三年目にしてやり手で出世頭と話題のゼルガディスだった。
「……どーゆー意味よ」
挑戦的なあたしのセリフに、彼は肩をすくめてみせた。
「別になんでもないさ。リナ=インバース。
まさか、本当にルナさんの妹が来ると思っていなかったからな。しかも、俺のつくった入社試験を満点でクリアして……とは」
「──姉ちゃんを知ってるの?」
「ああ。
いろんな意味で有名人だからな」
言った彼の顔は多少青ざめて見えた。
……確かにあたしの姉ちゃん、ルナ=インバースは有名人だ。
マイソと肩を並べるインバース・カンパニーの美人女社長にして、政財界にも強力なパイプをもつ謎多きキャリアウーマン。
セイルーン大に在学中は色々と無茶もしていたらしい。
「──でも、本当にまずいですわ」
不意にあたしに声をかけてきたのは、黒髪が美しい楚々とした美人──同じ秘書課の先輩、シルフィールさんだった。
「だからなにがまずいのよ」
「あなたがガウリイ様の第一秘書決定だからです」
「──は!?」
三日後、本当に正式な辞令で専属秘書にされた。
なんでも、今までスケジュール管理は全て自分でやっていたらしい。
その他にもいくつかの仕事をあたしに任せ、自分はあたしがバリバリと仕事をこなしていくのをのうのうと眺めていた。
ある日、へとへとになったあたしが会社から出ると、真っ黒なボクスターが停まっていた。
──あれは──
「リナ。食事にいかないか?
奢るよ」
車のパワーウインドウを下げ、おそらく変装なのだろう──ウェリントンのメガネを外しながら、世の女性が騙される悪魔の微笑みでそう言った。
「──いいえ社長。そういうわけにはいきません。」
「社長命令」
「……うっ!」
絶対職権乱用だ。
だが社長直々の命令である。
断ったら下手したらクビ。クビになると姉ちゃんの顔を潰す、つまり姉ちゃんにお仕置きされる。それだけは避けなければ生きていけない。
「……わかりました」
あたしは疲れたように言うと、金髪にエスコートされるままに車の助手席に乗った。
あたしは知らなかった。その姿をちょうど帰るところだった警備課の『彼女』に見られていたことを。
食事は意外な物だった。
「……らーめん」
「嫌いか? ラーメン」
ラーメン自体は嫌いではない。むしろ好きだ。
だがなんで年商ン兆円の大企業の社長にラーメンをオゴられなければならないのだ。
……普通は予約のとれなさそうな高級レストランだと思うのだが。
「──あ、もしかしてオレが高級レストランで豪華なディナーでも奢ると思ってたのか?
あんまり肩の凝る食事は好きじゃないんだ」
ごくり、とラーメンのスープを飲み干して言った。
「──そのかわり──
うちに上等なワインがあるんだ。
リナさえ良ければ、それで乾杯しよう」
言って世の女性ならそのまま失神しかねない程魅惑的なウインク。あたしはウェリントンのメガネが意外と似合うと思っていただけだが。
──上等なワイン。あたしはその言葉に負け、二つ返事でうなづいた。
社長の自宅はマンションの最上階にあった。中に通されると、黒を基調とした生活感のない部屋だった。
「──今持ってくる。ソファにでも座って待っててくれ。」
革張りのふかふかソファに身を沈めて程なく社長は赤ワインとグラス、ピスタチオを皿で持ってきた。
そしてゆったりとした動作であたしの隣に座り、ワインをグラスに注いだ。
「──じゃあ、乾杯しようかリナ」
左手でグラスを傾けながら言った。
『乾杯』
言って一口──
口あたりがよく、渋みもそんなに強くない、おそらく……若いワイン。
お酒にあまり強くないあたしでもこれなら…………あれ?
ぐらりっ
世界が、揺れる。
「あ……れ?」
あたまがはたらかない。
「……リナ、おやすみ」
社長のその言葉を最後に、あたしの意識は闇に落ちた──
